9.危機に立つ日本 - 技術力向上 - プロジェクト・レポート・バックナンバー - ロジカルシンキング

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9.危機に立つ日本   2011.05.31著 2011.06.08改訂

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目次

 

1.まえがき

2.日本の現状

2-1.問題点の羅列と問題解決の糸口の発見の必要性
2-2.問題の単純化と解決の糸口
2-3.キーワードは国内雇用である
2-4.国内雇用の場を創生しなければならない

3.新産業創生

3-1.産業創生の構造
3-2.コア技術
3-3.国内雇用を創生できる新製品
3-4.国内雇用を創生できるサービス業

4.各立場の人の任務
4-1.政治家の任務
4-2.政治家、特に為政者の責任感
4-3.一次産業
4-4.経営者
4-5.研究開発者
4-6.学者、研究機関の研究者

5.終わりに   

6.後記

 

 

1.まえがき

 

筆者は以前から研究開発を効率的に上手に推進するための方法論に興味を持ち、現役時代の体験の集大成として1992年に「研究の話」、その後「新製品開発の話」という小冊子などを出版し、研究者や経営者の方々から一定の評価が得られた。これらの冊子はもっぱら研究者自身のため、会社のためという視点から書いたものである。

しかし最近の日本の国家債務(国債発行残高)、政治、経済、技術流失などの様子をみていると、今や日本は国の崩壊に繋がりかねない由々しき事態になっていることを感じた。解決の鍵はもっぱら政治にあると考え、国民の多くは気をもみながらも政治の目に余る混乱を嘆きつつ傍観しているようである。

特に国家債務については国債発行残高がGDPの2倍近くになっているのにその増加を食い止め、減少させるための方向性も見いだせていない。これ一つとっても国家の危機というに値する。このことは日本人以上に外国の経済学者などが危機感を持って眺めているようである。例えばジャック アタリ著「国家債務危機」(作品社:文献1)を読んで改めてその認識を強くした。国民の多くは「まさか」と思っているかもしれないが、国家債務が戦争を引き起こし、革命を起こし、国家を破綻させたことは歴史的に決して稀なことではないことを学んだ。国家債務破綻を防止するには(1)労働人口を増やすこと、(2)歳出を減らすこと、(3)歳入を増やすことが示唆されているが、これは誰が考えても当然のことであり、それを実現する方策が示されなければ手の施しようがない。その意味ではジャック アタリ氏の著書はあまり解決の手掛かりを与えるものではなかった。

政治、経済の素人である現役技術屋を退いた私にも、この事態は政治家、経済学者、評論家などだけではとても解決できるものではないことが明白であり、なんとかこの事態を脱却するためには国民全体が各自の特徴を生かして凛とした態度で困難に立ち向かうことが必要であると思われた。その意味では、PHP新書 原丈人著「新しい資本主義」(文献2)の記載に共鳴するところが多く、問題解決のヒントが得られたように思われた。このような経緯を経て、かつては研究者であった私としても感じるところがあり、研究開発者も含めていろんな立場の人が皆で自分の責任を強く感じてその解決に寄与しなければ解決のできない問題であると考えて、分を超えて私見を提言してみたいと思い筆をとったのが本冊子である。

 

2.日本の現状

 

2-1.問題点の羅列と問題解決の糸口の発見の必要性

最近のニュースを見ていると、政治の混乱、少子高齢化、年金制度の破綻、福祉問題、経済成長の低迷、雇用問題、国家債権の破綻的膨張、技術の急速な流出、生産拠点の海外移行、グローバル化に関連する農業問題、デフレからの脱却、教育問題、愛国心の欠如などなど問題は山積である。(この原稿を書いている間に東日本大震災が起きた。事態は益々重大である)これらを総合した国力は日本国民が感じている以上に低下しているのである。先日も日本経済新聞の記事で、「スイスの某社の査定では日本の国力は調査対象59ケ国中、50位」との記載があった。日本は貧困国への道をひた走りに走っているのである。にも拘わらず、国民の多くは高度成長の余韻にいまだに浸ったままの「茹で蛙」状態である。

特に政治の混乱は大きな要因である。自由民主党の長期政権による弊害が大きく政権交代が行われたことは、それ自体に問題があったわけではないかも知れないが、その政権交代を行った政治家の意図に大変な問題があったために一層事態の悪化を招いたわけである。

筆者は以前に、元英国の首相であったサッチャー婦人の「自叙伝」を拾い読みしたことがあるが、その中で述べられているのは「私(サッチャー婦人)は英国病を解決するための方法を充分に研究して解決策を充分に確立した。そして次の作業としてその政策を如何に国民に理解しやすく説明するかを研究して選挙に臨んだ」といった趣旨の記載があった。それに反し、日本の政権交代は逆であり「先ずは政権交代ありきで」ただ議席数を増やすことが第一の目的で、充分な政策検討もなく問題の解決策の確立もなしに国民に耳触りのよい項目を並べたててマニフェストと称して選挙に臨み、衆議院の議員の数では第一党となったものの参議院選挙では早くも馬脚をあらわして「ねじれ国会」を招いてしまった。

その上に、上記のように山積して絡み合った問題の整理も出来ず、各問題毎に場当たり的政策を講じようとしている。したがって解決の順序、序列も見いだせる訳も無く、当然ながら問題解決の糸口も見いだせていない。こんなことを続ければ全体的解決などは全く不可能であり事態は悪化の一途をたどるだけである。

例えば少子化の問題一つとっても「子供手当」でお茶を濁して財源も無いのに所得制限も設けていない。子供を産んでも保育所がなくてどうするのか?子供が大学をでても就職出来なければどうするのか?親は心配で一杯である。こんなことでは少子化問題すら解決できない。
要するに多くの問題点を整理して、各問題の関連性、解決の順序を考えずにそれぞれの問題に対応することに追われているのである。これではいくらもがいても泥沼からの脱却は絶望的である。
先ずは多くの問題点を列挙して問題同士の関連を整理し、単純化して、キーポイントとなる問題を発見しその問題を中心にあらゆる手段を考え、次にキーポイントとなる問題、次に解決すべき問題の順序、序列を考えて順序よく問題を次々に解決してゆくべきである。

2-2.問題解決の糸口

私は経済の専門家でもなければ政治の専門家でもない。然し複雑に絡み合った問題を解決するには一旦問題を単純化して問題解決の糸口を発見し、それを起点にいろんな手段を考えて複雑な問題を解決しなければならないという思想は自然科学の研究をとうして身に付けた。複雑な問題をいきなり複雑に考えていくと決してよい結果は得られない。

2-3.キーワードは国内雇用である

結論をいえば、私の考えでは少子高齢化、年金制度の破綻、福祉問題、経済成長の低迷、雇用問題、国家債権の破綻的膨張、技術の急速な流出、生産拠点の海外移行、教育の貧困などなど問題は山積であるが先ず解決すべき問題は雇用問題である。以下その理由を述べる。

(A)少子高齢化との関係
少子高齢化については子供を増やすことと高齢者を減らすことが考えられるが、実際には子供を増やす政策は可能であるが高齢者を減らす政策をとることは人道的に困難である。子供の出生率を増やすことについては子供手当などの施策が行われているが、子供が成長した時に雇用が無いようでは親は子供を産むことに躊躇するであろう。この意味で現在の雇用、そして将来の雇用期待感を増加することは少子高齢化と直結しているのである。

(B)年金、福祉問題との関係
年金制度についは誰が考えても年金を納入する労働人口の増加が不可欠である。したがってこの問題も雇用と直結している。雇用の場が増加しなければ労働人口の増加はあり得ず、年金問題さえも維持できなく、年金問題が維持できなければ福祉問題の維持も困難なのは明白である。

(C)経済成長との関係
雇用が確保されなければ国内消費の増加は無理なことである。また国   内で生産したものが輸出されることによって真の経済成長がある。

(D)国家債務の破綻的膨張問題との関係
国家債務の破綻的膨張問題を解決するには「出るを制し入るを量る」以外に解決の方法が無いことは、経済学の素人である私でもわかることである。国内雇用が確保出来れば労働人口が増加し国の歳入も増えるが、逆に失業者が増加するようでは失業保険金や生活保護費の増加で出費も増え歳入の増加などは望むべきも無い。
したがって、国家債務の破綻的膨張問題を解決するには国内雇用の確保、労働人口の増加が必須条件である。

(E)グローバル化と国内雇用の関係
今や政治、経済など我々の生活はグローバル化と無関係には考えられない。既存の国内生産は生産コストの安い海外に流出することは避けられないことになる。それに伴って既存技術の流出も避けられないであろう。このまま放置すれば国内雇用の減少に拍車がかかり一層の悪循環が予想される。何としても流出する国内生産の場や技術の流出速度以上の速さで国内生産の場や新技術の創出が必要である。

(F)教育問題との関係
正直言って、私には今の大学の教育内容はわからないが大学卒業者の就職率がこのように悪くては充分な基礎学門の教育がおろそかになり、就職に直結するような教育に重点が移行してしまっているのではなかろうか。また海外の大学に留学する学生も減少していると聞いているが、帰国しても就職に問題を感じれば、留学の意欲も削がれるであろう。
また教育者の質の問題もある。優秀な人材が教育に従事するように教育の場を魅力あるものにしていくことも必要である。
以上のように、日本が抱える(A)~(F)のような複雑な諸問題に内蔵される共通項は「国内雇用の場」の不足である。「安定した国内雇用の場の創生」は上記諸問題解決の共通項である。

2-4.国内雇用の場を創生しなければならない

以上述べたように、今日本が抱える多くの難問はすべてと言っていいほど「国内雇用の不足」と関連している。もちろん、単に「低賃金の国内雇用」であっては困るのであり「妥当(子供を養い教育し、納税、年金の納付可能)な賃金の雇用」が必要なのである。このような「国内雇用の場」を創生には今の産業の拡大だけでは不可能である。今の産業を拡大してもそれ以上に現産業の国外生産への流出が起こりつつある現状では、どうしても新産業を創生することが必要になのである。

したがって、政府がいろんな支出をするにしても「国内雇用の創生」「新産業の創生」に直接、間接に関連するものを最重要視すべきであり、また増税のような歳入を増やす施策を行うにしても「国内雇用の創生」を阻むような施策を行うべきでないと考える。

しかし「国内雇用の創生」は政治だけの問題ではない。企業経営者、農業漁業従事者、学者、研究者、技術者などほとんど全国民が取り組まなければ達成できない問題である。

 

3.新産業創生

 

3-1.産業創生の構造

新しい産業の創生については文献2に明快に書かれている。44頁「産業革命をもたらしたコア技術」において、産業創設の段階を(段階1)コア技術(例として内燃機関)が、製品(例として機関車、自動車、船舶、飛行機)を製造する(段階2)アプリケーション製造業を生み、さらにそれが成熟して種々の(段階3)サービス業(例としてモータリゼーション文化、輸送業、物流業、流通業、燃料業、新販売業、インフラ建設業・・・)を生んだという趣旨のことが記載されている。コア技術そのものの雇用創出は大きくないがアプリケーション製造業、それによって発生するサービス業の雇用は膨大である。
このように、革命的なコア技術は膨大な雇用を創出するが、革命的でなくとも世界に突出したコア技術はそれなりに大きな雇用を創出する。

3-2.コア技術

前節で述べたように、産業は(段階1)コア技術を頂点に、(段階2)アプリケーション製造業、(段階3)サービス業と裾野を広げている。産業体系ができ上がった段階では、企業ごとに(1)~(3)のいずれかに特化していることが多い。
このように事情は各研究機関や企業によって異なり、全企業が純粋に産業革命を起こすようなコア技術の研究開発を行うわけにはゆかないが各企業の得意分野で「世界的に他の真似のできない技術」を生み出すことが「コア技術」の創生ということができる。
もちろん、各企業には当面開発しなければならない技術問題が有るから全ての力をコア技術の開発に注ぐことはできないが、できる限りの努力でコア技術の開発に注力する必要がある。
新産業創生のためには是非とも「コア技術」の創生が必要なのである。

3-3.国内雇用を創生できる新製品

新製品の創生は、ある種の技術と他の技術の組み合わせによって発生することが多い。組み合わせに使われる技術の中に「コア技術」に相当するものが含まれていれば、その新製品は「国内雇用を創生できる新製品」であろう。
日本企業は今まで会社のことを考えて、企業発展のための新製品開発を考えればよかった。しかしこれからの日本企業はそれに加えて「国内雇用を創生できる新製品」を開発してゆかねばならないという極めてハードルの高い使命を果たしてゆかねば企業の社会的使命がはたせなくなったのである(しかも日本は物を安価に製造するには極めて不利な立地である)。
もし企業が社会的使命を果たせなかったら、その企業はいくらお金を稼いでも、それだけではいずれ社会から不要な企業として存在価値を失ってゆくであろう。

3-4.国内雇用を創生できるサービス業

サービス業に働く人の数は膨大である。したがってこの問題は極めて重要である。しかし残念ながら正直言って私にはこの問題を論じる能力がない。
唯一つ言えることは、技術には(1)作る技術、(2)評価する(性能保証する)技術、(3)作った物の用途を発見する技術がある。えてして製造業の技術者は(1)の技術を重要視するが、(2)、(3)の技術を重視するようになれば新製品は国内雇用を創生できるサービス業の創生にも寄与するのではなかろうか。

4.各立場の人の任務

 

4-1.政治家の任務

日本国民は東日本大震災に際し被災民は世界の称賛を浴びるほどの徳性と極めて高い忍耐力を発揮し、若者をはじめ多くの人がボランティア活動を行なっている。さらに政府に重大な責任がある福島原発事故に端を発する「電力危機」に際して国中一致して企業、一般家庭に至るまで節電に協力する姿勢を示している。これらのことをみていると日本人は何と世界稀なる資質がある民族かと思うのである。

この優れた資質を持った民族を持ちながら何と現在の政治家、政権は方向性を示すことなく政局中心に右往左往していることか。これが国民に常に将来に対する不安を持ち続けさせている原因である。政局を中心に考えるから右往左往するのである。

政府は方向性も無く問題毎の場当たり的対策をとるのではなく、震災対策を最優先として方向性が明確でスピーディーな対策を実施するべきである。その際にも「安定した国内雇用の場の創生」を念頭において、これに逆行することのない政策を行なわねばならない。でなければ、当面の手当ての累積が国を滅ぼすことになる。

すなはち、政治家、政府は一刻も早く、日本が抱えている諸問題を充分に分析しその根底にある問題解決の手段の共通項を発見し、「安定した国内雇用の場の創生」を念頭においてそれを方向性として示して国民に分かりやすく説明して、国民の理解を得て諸問題の解決に当たらなければならない。そうすれば世界稀な国民性が生かされ、その力のベクトルがそろい日本の将来は明るいものになるであろう。

4-2.政治家、特に為政者の責任感

前節の任務を果たすのが政治家、特に政府の責任であるが、今の政治家、特に政府にはあまりにも「危機感」「責任感」が欠如している。首相始め全政治家には政治家同士の論理などにこだわることなく前節で述べたような任務を遂行するために一刻も早い対策を立案実施する「責任」がある。対策が一刻一刻遅れればそれだけハードルは高くなり、国民を一層苦しめるばかりである。

まして震災被災者や現地の自治体、原発関係者、ボランティアなどが昼夜をとわず休日も無く頑張っている現状では政府も国会も国民の目に見えるような形で責任遂行に邁進するべきではないか。首相は先日の国会答弁で「私にはまだ四国八十八カ所を回るという弘法大師に誓った責任も残っている」と逃避的なことを口走られたのをテレビで見て「これが本心だったのか」と驚いた。「首相を退いたら当面ボランティアに専念する責任がある」とでも言ってもらったら国民も首相の決意を目で見たであろう。

上記に象徴されるような「責任感の薄さ」が身に染みついているためか、今の政府責任者には、責任を無意識的に避けよう、ぼかそうというとする発言が多すぎる。また責任者の顔も見えない委員会の類に問題を丸投げしてその陰に隠れてしまっている。

かつて、第二次臨時行政調査会の会長に土光敏夫氏が就任された時には、土光氏は首相に「臨調の結論は必ず実行する」ことを確約させて老齢を押して重責を命がけで(臨調の終わりの頃には車椅子で出席されたという)全うされた。その姿をみて世間は臨調を「土光臨調」と今でも呼んでいる。「官より民へ」、「国より地方へ」国鉄、電電公社、専売公社などの民営化もその延長線上にあるそうである。

委員会などを作るなら、「冠委員会」くらいに責任者の顔が見える委員会を作り、その結論を実行してゆく勇気がなければならない。もちろん最終責任は総理大臣にあるが、最近の総理は「責任転嫁や責任ぼかし」の名人ばかりである。総理がそうであるから政府要人も皆その様になっている。
政治にたずさわる者に最も大切なのは「命を賭した責任感」である。その責任感なしに職業化した感覚で政治家になることは国民に対する背任である。

4-3.一次産業

農業、林業、漁業などの一次産業の環境は極めて厳しいものがある。これらの産業は国の政策と大きくかかわっているが、国も事業従事者も知恵を絞って産業の維持と雇用創出に努力しなければならない。国は単に直接的金銭的援助だけでなく、これら産業を魅力的なものに改造するための公的研究機関の援助に注力しなければならない。
また品種改良などの技術が海外に流失しないように努力すべきである。これは狭量のようであるが止むを得ないことであろう。

4-4.経営者

経営者は会社発展のために株主、社員、銀行などに気を使い、経営状態を示す指標や社員給料などに気配りすることや、会社発展のために利益追求の最大の努力をすることは当然である。企業が利益を挙げることは国益でもある。

しかし、これらの指標がやや低下しても利益や内部留保金の一部(可及的に多く)を割いて世界に突出するような「コア技術の研究」に充当すべきである。コア技術の研究は直ぐには利益に結びつかないが、新産業の創生すなわち「新しい雇用の場の創生」の原動力となるからである。直近の問題を解決する研究だけでは「新しい雇用の場の創生」は難しい。製品を日本国内で生産しても充分に競争力のある新製品を生み出すには、突出したコア技術を持つことが必要である。

今グローバル化の中で企業が成長し続けるためには海外進出、生産拠点の海外移転も必要ではあるが、一方それによって空洞化する「国内の雇用の場」を補填し、さらに増加することも経営者の社会的責任である。

企業は株主、社員のものであろうが、且つ社会のものであることを忘れてはならない。企業が繁栄しないで国が栄えることはないし、反面、国や社会が貧困に陥って企業だけが繁栄するということはないであろう。今の日本の企業経営者には会社の成長という従来からの責任に加えて「安定した国内雇用の場を創生する」という重い責任が付加されたのである。

4-5.研究開発者

何といっても研究開発者はコア技術創生、新産業創生の為の新技術の創生の第一線にいる。
したがって、研究開発者は従来以上に各段に高い研究テーマーを設定して、その達成に果敢な挑戦をする必要がある。そして、国内で(生産には非常に厳しい立地であるが)生産しても充分に利益のでる新製品を創生しなければならない。それが企業のためになり、また日本の「安定雇用の場」を創生することにもなるのである。
しかも、これからの日本は潤沢な研究費を研究者に与える余裕がなくなるかもしれないから、研究の方法論を工夫して研究効率(研究成果/研究投資)の高い研究をスピーディーに行って成果を挙げてゆくことが期待される。
日本再生の原動力は研究開発者の力以外に何もないのである。研究開発者は危機に立たされた日本を救う責任感を持って、今こそ無私の心境で日本再生のために奮起しなければなければならない。

4-6.学者、研究機関の研究者

本来学者や研究機関の研究者は自由に、広い視野で人類に貢献するような研究をしてノーベル賞級の研究成果を挙げるのが理想的であることは私にもよく理解できる。しかし、上記のような今の日本の情勢を考えると学者や公的機関の研究者にも「愛国心」を持ってもらって日本の為になるようなコア技術については特許を取得できるものは特許を取得するなどして有形の形で国益に寄与して欲しいものである。それによって日本の国費から支出された研究費を回収して次の研究費に使ってもらうなどのことを考えていただいてもよいのではないだろうか。

学者のみならず一般の研究者も一人前になるには教育費など多くの税金が使われていることを忘れてはならない。学者、研究者の研究成果は本人の努力によるところが多いことは勿論であるが、多くの税金も使われている。これを自覚していただいて、今、危機に立っている日本の国益にも充分な配慮をしていただきたいのである。

また限られた国費の中で優先的に行う研究分野の選択にしても、学者同士が自分の分野の発展や拡大のみに捉われることなく熟慮して国益に合った選択をして欲しいものである。

 

5.終わりに

 

以上のように国民の各立場の人が、それぞれしっかりと使命感と責任感を持って国難に立ち向かえば、たぐい稀な国民性を持つ日本は必ず国難を克服して、孫子のためにも発展の道を開くであろう。
現役を退いた元一研究開発者で傘寿をむかえる化石人間である私が、自分の分を超えた稚拙な小文を恥をしのんで書いてしまった。

これも最近の日本に危機に加えて東日本大震災という重荷を背負って正に国難に面した「日本」を傍観していられず、にもかかわらず自分自身が何もできないもどかしさに追われてのことである。ご容赦願ってご一読いただければ幸いである。

奇しくも丁度今日5月31日の日本経済新聞(インターネット)で、あの危機に強かった土光敏夫氏の有名な言葉に「重荷主義で育てよ」がある。若いうちから、能力を上回るような仕事を与えてこそ人材が育つという意味だ。という記事をみつけて急に明るい気持ちになった。今の日本は人材育成の好機なのかもしれない。

2011.5.31.紙尾康作

 

    6.追記

 

本稿は今年の2月に起稿したものであるが、3月に大震災、原発事故が発生して、途中で論旨を修正しながら5月31日に仕上げたので全体として論旨が多少振れていると思う。さらにでき上がった原稿を見識ある先生、親交ある友人に見てもらい批評をいただき、そのお言葉も加味させていただいて改訂版を今日仕上げた。

原発事故に対する対処の実態や国の責任の重大性などが刻々明らかになりつつあるが、それを考慮して修正し続けていると時機を失するので一応ここで締めくくることにしたのである。

その矢先に、今朝の産経新聞の第一面掲載の東谷氏の原発事故関連の論説には、現政権が国の責任を東京電力に押し付けて「東電叩き」で延命を図ろうとする姿が示されていた。そのほかにも、国の原子力安全指針に「長期の保安電源の喪失は想定しなくてもよい」という趣旨の、福島原発事故の一因に関する積極的記載があったとも報じられている。その記載に関する安全委員会長の発言も「責任転嫁、責任ぼかし」に終始している。

それらを知って又、日本にはまだ官尊民卑が染みついているのか、為政者は自己の延命を先にして「救国の自覚、自責感」を失っているのかと強く感じた。国民はもっと「真の主権者は国民であり民間である」ことを知らしめる世論を喚起し、行動を起こすべきであると痛感した。

2011.6.8.改訂  紙尾康作