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1)はじめに
2)私の経験・・失敗例
3)私流の売価設定法と成功例
1.「高級マーキングフィルム」
2.チップ抵抗用セラミック基板
3.私流の売価設定法
4.新製品と新グレードは異なる。
4)トナーの開発の失敗
5)松下幸之助氏の経営
6)稲盛経営12カ条
7)ユニチャームの事例
8)売価設定の見直しで高配当可能になった会社
9)品質保証の程度で売価を設定している会社
10)会社の誰が売価決定権を持っているか?
11)おわりに
1)はじめに
先日、facebook友達の広野彩子さんの投稿で朝日新聞出版発行の「スマート・プライシング」(ジャックモハン・ラジュー、Z・ジョンソン・チャン著藤井清美訳)という著書を知った。読んでみて、商品の売価設定と販売方法の多様性を今更のように痛感した。また、この著書の結文には「適切な価格設定を行うことは、結局は科学であると同時に技能でもある。ほとんどのビジネス慣行と同じく価格設定についても、最善の決定は理論だけでなく経験や直感にも基づくものだ。つまるところ、賢明な価格設定には深い顧客理解と優れた経済的直感だけでなく、かなりの世間知も必要なのだ。本書が、みなさんがこれら三つの要素について理解する助けになったことを願っている。」と書かれていたことが印象的であった。
一方、振り返って自分が新製品開発に携わっていたときに、新製品ができ上がっても確かに「売価設定」の正、誤、で開発が成功したり失敗したりした事例を思い出し、こんな経験は纏めて書いておけば誰かのためになるかも知れないと考えて筆を取ることにした。
なお、この小論を書くに当たって「新商品」とすべきか「新製品」とすべきかについて随分迷ったが、私の場合は新商品といっても工業製品に限られた経験しかないので「新製品」で統一した。
2)私の経験・・失敗例
私の最初の「失敗例」は「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」の開発である。
少し技術的な話になるが、本来、塩化ビニール樹脂というのは硬い樹脂であり「硬質塩化ビニール樹脂」とも呼ばれる。例えば、塩化ビニールパイプ、塩化ビニール板などのようなものである。しかし塩化ビニールホース、農業用ハウスに使われる塩化ビニールフィルムのような「軟質塩化ビニール樹脂」というものもある。「軟質塩化ビニール樹脂」というのは「硬質塩化ビニール樹脂」に可塑剤という液体を混合して作るのが一般であるが、可塑剤による欠点も発生する。例えば、可塑剤が除々に滲み出て樹脂が次第に硬くなったり、滲み出た可塑剤が他のものに移行して害を及ぼしたりする。最近は可塑剤の改良によってその害は緩和されているが、かっては大きな問題であった。
そんな背景で、可塑剤を含まない「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」の開発に着手したのである。実験室で目的とする樹脂の製造に成功し、セミコマーシャルプラントの建設に着手することになった。この段階で、私は「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」の製造原価を試算したところ普通の軟質塩化ビニール樹脂より相当に高価になることを知った。そこで、私は値段相当の用途を開発しなければこの樹脂の開発は失敗に終わることを予感し、優秀な技術者S君を選んで、普通の軟質塩化ビニール樹脂の売価の2倍程度で「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」を売ることができる用途開発を同時出発で開始した。
研究所はこのような方針で開発を進めたが「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」の販売は本社企画部が担当していたので、「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」を普通の軟質塩化ビニール樹脂と大差ない価格で試験販売を始めてしまった。企画部に「売価設定」を変更するように説得したが、「販売量が増えれば製造原価も下がる」と、いろんな樹脂の例を引用して私の意見を聞き入れずに試験販売を進めてしまった。ついに「売れば売るほど赤字が嵩む」とうとう結果になり、セミコマーシャルプラントの閉鎖を命じられた。この開発は、このような事情で失敗したのであるが、事情を知らない周囲の人は「君の研究開発は失敗した」との一言であった。
私は悔しかったが、考えてみると企画部を説得できなかったのは私の責任であるから仕方ないと思い自分の失敗を噛みしめた。そして、「説得力」も研究開発技術者の資質の一つであることを学び、「売価設定の重要性」を心に刻んだ。
一方S君は、驚いたことに、プラントが閉鎖になったのに売れ残った在庫品を使ってその後も用途開発を諦めず進め、遂に「高級マーキングフィルム」(現在、殆どの看板、「JR」などの列車の文字、標示に使用されている)が「無可塑剤軟質塩化ビニール樹脂」の最適用途であることを突き止め、その製造に成功した。この用途のフィルムは通常の塩化ビニールフィルムの何倍もの売価で売れており、十分に利益のでる用途である。現在は原料を変更して私の開発した原料は使用していないが、S君は私の失敗を成功に変えてくれた恩人である。
「高級マーキングフィルム」の試験販売が始まるころは、私は研究所長の職にあったので「この商品が利益を生むまでは、研究所で製造、販売する」との主張を押し通し、売価の設定は研究所長が行ったのである。かっての失敗の教訓である。
3)私流の売価設定法と成功例
以上のような経験から私は我流ではあるが、自分なりの売価設定法を身に付けた。以下に幾つかの例で、私流の売価設定法を説明する。
1.「高級マーキングフィルム」
前述の「高級マーキングフィルム」の売価について述べれば、当社が「高級マーキングフィルム」を開発する以前にアメリカの3M社が世界の市場を独占していたので、その市場を奪うには当然3M社より安い売価設定をする必要があると考えた。顧客に「価格的に有意差」を感じさせるには20%程度の差が必要であるということを勉強したことがあったので、当社の「高級マーキングフィルム」の売価は3M社の80%程度とした。一方、利益の確保のために製造法を3M社とは変えてコストダウンを図っておいた。
小型の生産設備で生産を始めて、最初に引き合いのあった会社の購入希望価格は私の設定価格の約半分程度であったので私は受ける心算もなかったが、開発者であるS君は待ちに待った客であったのでその価格で売ることを主張して意見が合わなかった。そのうちに、S君は海外市場の調査に出張したのでその間に、私は勝手に私の設定価格で見積書を提出しておいた。帰国したS君は激怒して「これで、この開発は失敗だ」と私に詰め寄ったが、彼の「早く売り上げをあげたい」という心境はよく理解できたので、私はむしろ彼の熱意に胸を熱くしたが売価の変更は認めなかった。
結果的には、当然ながら前記の客先からは購入を断られ、しばらくは販売の見込みが無くなった。だがS君は思い直し頑張って、さらに顧客をさがしてくれ私の設定価格で購入してくれる客がみつかった。
以後は3M社よりも安いことに目を付けて引き合いを出してくる会社が次々と増えてきた。
そこで、本格的な生産設備の設置が必要になり、稟議書案を作製したら、損益分岐点は設備稼働率30%であったので私は稟議提出を決断した。稟議審査会では、営業を永くやってこられた社長の「損益分岐点が稼働率30%なら、いいじゃないか」との一言で決裁になった。しかし販売を始めてみると意外な費用が嵩み、そんなに甘い開発ではなかったが、何とか利益を出せ今も出し続けているのは売価を安易に「最初の客先の要望」に合わせることなく自分の考えで設定しておいたことが一因であると考えている。
2.チップ抵抗器用セラミック基板
電子機器が小型化されるに従って、ICの高度化のみならず周辺部品の小型化も必須である。周辺部品の一つに「固定抵抗器」というものがあるが、ちょっとした電子機器にも数十個程度の固定抵抗器が使われている。世界の総需要は当時で月に数十億個であった。
チップ抵抗器というのは極めて小さな抵抗器で1mm×2mm程度のものである。これを作る土台がチップ抵抗器用セラミック基板であるが、一枚のセラミック基板で1000個以上の固定抵抗器が作れるように設計されているので、要求性能、許容寸法誤差が極めて厳しい。
私が取り組んだ頃は、このようなチップ抵抗器用セラミック基板の試作段階の良品歩留まりは10%台で、もちろん、このような歩留まりでは大赤字であった。世界一の京セラも生産に着手していなかった。構造が複雑なセラミックパッケージなどの歩留まりを調査した結果では、一般の電子用セラミックの歩留まりは80%以上が常識な時代であった。
私はこの事業を拡大すべきか否かに悩んだが、頑張ってトップメーカーになれれば当時の客の要望する売価を維持して販売出来ると仮定して、損益分岐点歩留まりを計算すると30%程度である。私は歩留まりを上げれば黒字になることに気付いた、80%と30%の差は宝の山ではないか。私の目算は、歩留まりを最低でも60%程度に向上は可能であるという結論である。
もちろん、歩留まりの向上は容易ではなかったが、設備を最新鋭化して拡大し、製造を担当する技術者に優秀な人材を当てることができたので、その人々に任せた。
最初は赤字の連続であったが、歩留まりが50%程度に達したころにICブームが起こり、累積赤字を一掃できた。私の目論見が当たったのは、任に当たった人々の努力の結果であるが、目論見なしに事業がスタート出来なかったのも事実である。
3.私流の売価設定法
上記の例のように、新製品の開発は多くのリスクを伴うものである。したがって、そのスタートに当たっては相当に余裕のある利益計画が必要である。利益計画における売価の設定は重要であるが、客先に喜んで買ってもらえる価格設定でなければ意味が無い。したがって、価格の設定に当たっては客先の事情を充分に調査し、市場のトレンドを充分に検討しなければならない。それによって、売価の設定が可能になるのである。
次の問題はその価格で自分も充分な利益が得られるかが問題である。「充分な利益」とは何か、それを得るための条件は何か。新製品開発のリスクを考えると(A)製造原価が売価の50%以下というのが私の一つの思考条件である、また販売量が伸びない場合を考慮して(B)設備稼働率30%が損益分岐点となることが第二の条件である。これが私流の売価設定法であり新製品開発計画法である。これに当てはまる新製品開発テーマを見いだすことは容易でないが、必死で条件を満たすテーマの発見に努力する以外に安易な道は無い。
新製品開発はリスクも多いので、売価の高い製品に目標を置くのが原則である。新製品開発目標を販売価格の低い物に設定すると、開発計画はその時点で失敗している。付記すれば、アルミニュームが世に出た時には銀よりも高い価格であったし、セルロイド(プラスチックの一種)が世に出た時には象牙よりも高い価格であったのである。両者の価格が低下したのは、量産によって「新製品」でなくなっただけの事である。
ちなみに、私の新製品開発テーマ選択の4原則は、(A)高付加価値(売価を高く設定できる)、(B)部分的に自社技術が利用できる、(C)世界のトップメーカーを目指すことができる、(D)経済、技術的トレンドに合致している、である。
4.新製品と新グレードとは異なる
一般に、新製品の売価設定と新グレードの売価設定は異なる。前者は売り手が売価を設定し、開発計画を策定して開発の可否を決めることが出来る。
しかし後者の場合は現製品の販売維持増進を目的とするものであるから、開発策定計画の原理は同じではあるが、より客先のメリットを優先しなければならない。メリットの中には品質メリットと客の購入価格メリットがあるが、私の場合は合計で20%程度のメリットを与えないと顧客は有意差を感じないと考えていた。したがって、新グレードの開発に当たってはそれだけのメリットを与えて尚自分の利益も増えるだけの高い研究目標を設定して研究開発に取り組まなければならない。それだけの研究目標の設定と達成が不可能であれば現製品の販売も低下の一途をたどると覚悟しなければならない。
4)トナーの開発の失敗
再び失敗例の話にもどるが、現在のレザープリンターに使用されているインキに相当するものがトナーと呼ばれる粉体である。レザープリンターが開発された当時は黒色トナーしかなく、したがって印刷は白黒印刷に限られていた。その後カラー印刷できるようになったが、解像度が悪く写真の印刷の綺麗さはフィルム写真には遠く及ばなかった、したがって、その需要は微々たるものであった。
そこで、私の会社は従来以上に微粒のトナーの開発に成功したが、その開発方針が悪かった。微粒のトナーは当然ながら印刷解像度がよくカラー印刷に好適であったが、需要が少ないので、需要の大きな白黒印刷用の黒色トナーとして販売する方向に進みだした。計算上は製造原価でも従来の黒色トナーと対抗できるはずであったが、先行する黒色トナーメーカーは設備償却も進んでいるので、実際には客先の要求価格で販売すると、設備を新設して出発する当社は不利である。
当時相談役であった私は、「今需要が少なくとも、販売価格が数倍も期待できるカラートナーを狙って進出すべきである」と進言したが理解されず、結果的には販売価格の低い黒色トナーで製造規模を拡大したので進むにしたがって赤字が嵩み、挫折して特許権、技術、製造装置の一切を売却せざるを得なくなった。
買収した会社はその装置でカラートナーを製造し始め、今は大きな工場となっている。
5)松下幸之助の経営
随分以前に読んだ松下幸之助氏の本には「自分は最高、40を超える事業部、関連会社をコントロールする立場にあったが、一切の権限はそれぞれの長にまかせた。しかし新製品の発売価格だけは自分できめた。」という趣旨のことが書かれていた。
松下幸之助氏が如何に「販売価格の設定」が重要で、難しいかを認識しておられたかを伺い知ることが出来る。
6)稲盛経営12カ条
稲盛経営12ヶ条に書かれている第6項には、「値決めはトップの仕事。お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である。」と書かれている。稲盛氏の販売価格設定に対する厳しい考えが示されている。
7)ユニチャームの事例
かつて日経新聞の「私の履歴書」に書かれた高原慶一朗氏の記事に、氏がユニチャームの社長時代に「通常に販売されている商品価格の五割増しで売れる商品を開発された時のこと」が書かれていた。目的とする商品が出来たので、「販売を開始したがなかなか売れず在庫が溜まってきた。
社員は製造を抑制しようと進言したが、自分は更に製造を進めさせた。在庫は溜まる一方であったが、そのうちに販売員の努力も実り一転増産に追われるようになった。」という趣旨のことが書かれてあった。高原慶一朗氏の売価設定を含めた新製品開発方針に対する自信の程が伺い知れて感銘を受けた。
8)売価設定の見直しで高配当可能になった会社
私の知っている会社が「コストプラス」思考で製品販売をしていたが、利益は極めて低く低迷していた。しかし経営者が代わり、製品それぞれの需給事情を分析して売価設定する方針を打ち出した。
製品を仕分けして製品ごとに販売価格を見直し、また利益の少ない製品の受注は受けないようにし、さらに他社が製造出来ない「only one製品」の販売価格は、製造コストと無関係に客先が納得してくれる最高値にまで高く設定した。今では高配当会社になっている。
9)品質保証の程度で売価を設定している会社
アメリカのセラミックコンデンサー製造会社を往訪した時の話である。その会社では製品の品質試験を何段階かに分け、一次試験合格品、さらに二次試験合格品・・と仕分けして一次試験のみに合格した製品は民生用に安い売価で販売し、高度の試験に合格したものはそれぞれ仕分けして軍事用や宇宙ロケット用などに高品質保証品として高い売価を設定していた。
全く同じ工程で製造された製品の品質のばらつきを利用した巧妙な売価設定であると思い今でも記憶している。
10)会社の誰が売価決定権を持っているか?
前述の記載を通じて、名経営者と呼ばれる社長はすべて商品の販売価格の設定に極めて真剣に取り組んでおられ、また販売価格の設定に関しての哲学をお持ちであって、本人ご自身が販売価格の設定たずさわられた事が読み取れる。
しかし、このような経営者は概して研究開発、製造、販売の多面的経験がある人であるが、世間の会社の社長がすべてそれに該当するという訳ではなかろう。
そのような場合に、誰に新製品の販売価格設定権を持たせるのがいいのかが大問題である。販売価格の設定は松下幸之助氏や稲盛和夫氏も心血を注がれたほどの重要事項であるから、会社の中に適任者がそんなに多くいるものではなかろう。
といって放任すると、販売価格決定者が場当たり的になり、新製品開発の失敗が多発することになる。私が研究所長時代に「高級マーキングフィルム」の開発で「この製品が利益を生むまでは、研究所で製造、販売する」との主張を押し通し、売価の設定は研究所長が行ったことは前述したが、このような異例なことは一般的に出来るものではない。それではどうすればいいのか?
私の考えでは、やはり新製品の販売価格は社長決裁事項とし、社長自身に開発、製造、営業などの多面的な経験や知見がないときは、それを補佐する人選をして補佐させて社長が決裁するようなルールにした方がよいと思う。売価設定は経営そのものであるからだ。
私もこのようなことを社長に進言して採用され、一時期、私も社長の補佐役として新製品の販売価格設定に参画させてもらった経験がある。
11)おわりに
この小論は、朝日新聞出版発行の「スマート・プライシング」(ジャックモハン・ラジュー、Z・ジョンソン・チャン著藤井清美訳)に触発されて書きだしたものであるが、素人の私には同著のように理論整然としたものが書ける訳もないので、もっぱら私の体験談を書いた。自画自賛ではあるが、それはそれなりの臨場感があるのではないかと思っている。
多少なりとも読者の参考になれば幸いである。